夢学校 設立趣意書

<学び>とは、いったいどういうものでしょうか?

約半世紀を生きて来たわたしたちにとって

そして21世紀を生きる子どもたちにとって

<学ぶこと>は、いったいどんな意味を持っているのでしょうか?

大人にとっての

そして子どもにとっての

多様な<学び>を考えてみたいと思います


子どもの最大の学習動機宇宙に出た毛利さんは、広大な宇宙空間から青い地球を眺めながら、人間をはじめとするさまざまな生命が薄い大気の層にしか生存できない、危うい存在であることを改めて実感したそうです。そして今後も人類が生き延びていくには、環境の変化を乗り越えるだけの叡智を備えた人材を育てる必要があると、語っています。

叡智とは、深遠な道理を悟りうる優れた知恵のことです。

「万物の霊長」だと誇っている人間も、一人では生きていけません。

わたしたちはみんな、無辺の宇宙を旅「宇宙船・地球号」の乗組員です。

果てしない宇宙空間を旅する「宇宙船・地球号」のちっぽけで、しかし果敢な姿を想像してみてください。

わたしたちはこの宇宙船の進路を決める21世紀の」子どもたちを育てていく義務があるはずです。


(1)設立の目的

<時代背景を読む>

 経験主義から系統主義へ・・・、「一定の教育水準の維持」から「ゆとりと充実」へ・・・、知識重視から「こころの教育」へ・・・、このように教育を見ていくと、教育問題は教育の場だけの問題ではなく、我々日本人が、どのような社会を選択してきたのかが問われていることがよくわかります。

 1980年代に高校進学率95%以上を実現した我が国では、物質的に豊かな生活を手に入れるために勉強するという子どもの最大の学習動機が、いつの間にか成立しなくなってしまいました。つまり、何のために学校へ行くのかという動機が変わり始めていたのです。

 にもかかわらず、子どもたちを取り巻く家庭や社会は反対に、能力や行動を数字化する「学校化社会」への様相を深め、子どもたちの自己実現の場はまさに減少の一途をたどっています。そこでわたしたちは、人間の能力や可能性を数字ではかるのではなく、体験活動や地域の様々な人々との関りを通して、子どもたちの「いきる力」を育んでいきたいと考えています。


<学びの展開>

 価値観が多様化している現在、教育もまた、その例外ではありません。社会を牽引していくとか、知識を一方的に注入するといった今までの教育の役割ではなく、成熟社会にふさわしく発想を新たにした、多様性と試行錯誤を支援するための、新しいかたちの教育がいま、求められていると思われます。

 時代は自己推進的な人間を要求し、しかし教育現場の子どもたちの顔はいっせいに疲れ果て生気がない状態です。子どもたちの自己実現能力を高めるために、わたしたちにはいったい何ができるのでしょうか

 文部科学省は生涯学習や「家庭・学校・地域の連携」を提唱し、地域での子育て、地域の中の学校を推奨しています。それを受けてわたしたちは「今治」という地域に住む様々な人々に「夢学校」の生徒たちと関って頂き、双方のコミュニケーション能力を高めることができれば・・・と考えています。そのことにより、子どもたちにも市民にも、郷土に対するより深い知識や愛着が芽生え、ひいてはアイデンティティーの確立が可能になれば、言うことはありません。

 また、生涯学習の観点から「学び」の広がりを検証し、「地域の子どもを地域で育む」という郷土の先達が大切にした足跡をたどりたいと思っています。

 そして「学び」に携わることによって「育てるものが育てられる」という双方向の関係を築くことができれば、これ以上のことはありません。


(2)方針

 大人と子ども、先生と生徒・・・これらの境界線を取り払い、年齢や立場に関係なく対等な人間として尊重し合い、国籍、年齢、学力、障害の有無、家庭状況等に関係なく、いろいろな個性を持った人々が集まり、それぞれが個としての違いを認め合いながら、人と人、人と街、人と自然との関係が調和のとれた<共生>の暮らし方を学んでいきます。このような体験の中から、生徒たちは共感、思いやり、分かち合いといった共生的な価値観を自得し、信頼や協動といったソーシャルスキルを身につけることができるはずです。

 また、ミーティングとディスカッションは、この「夢学校」における合意形成の場であり、もっとも重要な教育機能のひとつです。

 ミーティングでは年齢や立場に関係なくフランクな議論を行うことによって、全員が納得できる結論に到達させたいと思っています。ディスカッションでは運営上の問題点や、生徒間で生じたトラブル等について行います。

 生徒たちはこのような民主的な合意形成のプロセスに参加する中で、自由と責任のあり方を身をもって学ぶことができるはずです。